烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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千姫の墓と濡髪大明神

 知恩院の勢至堂の先にある墓所に、徳川家康の孫で豊臣秀頼の正室であった千姫の墓があります。
 慶長2年(1597)に徳川秀忠と江の長女として、伏見城内の徳川屋敷で産まれた千姫は、慶長8年(1603)に7歳で豊臣秀頼と結婚し大坂城に入ります。慶長20年(1615)の大坂夏の陣で豊臣家は滅亡しますが、千姫は徳川家康の命により落城寸前の大坂城から救出されています。
 元和2年(1616)に桑名藩主・本多忠政の嫡男である本多忠刻と再婚。翌年には本多家は姫路に移封となります。
 元和4年(1618)には長女・勝姫が誕生。翌年には長男・幸千代が生まれますが僅か3歳で亡くなり、夫も亡くなったため本多家を出て江戸城に入り出家、天樹院と名乗ります。
 なお、江戸に同行した勝姫は、その後、岡山藩主・池田光政の元へ嫁ぎ(結婚当時は鳥取藩主)嫡男の池田綱政を生んでいます。
 天樹院(千姫)は江戸城大奥に絶大な影響力を持ちながら江戸で暮らし、寛文6年(1666)に70歳で亡くなります。小石川伝通院に葬られますが、徳川家が帰依していた浄土宗の総本山である知恩院にも分骨されて墓が建立されたのです。



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千姫の墓



 勢至堂の境内には千姫の位牌が祀られています。



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千姫の位牌


 千姫の墓の近くにある「濡髪大明神」は御影堂建設に伴い住家を追われた狐のために、知恩院第三十二世雄譽霊巌上人が建立した神社だそうです。
 「濡髪」という名前の由来は、狐が童子に化けていた時に髪が濡れていたためと言われています。 元は火災除けの神様として祀られていましたが、「濡髪」が艶やかな女性の姿をイメージさせることから、祇園町のきれいどころの信仰を集め、縁結びの神様としても親しまれています。




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濡髪大明神


京都府京都市東山区林下町400



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