烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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静岡駅前 二つの家康像

 静岡市にやってきました。古くは駿府と呼ばれ、駿河国の国府が置かれた都市で、戦国時代は今川氏の拠点として栄えてきました。
 駿府(静岡市)は徳川家康とも関わり深い場所です。家康は少年期、壮年期及び大御所時代と、三度この地で暮らしています。
 最初に訪れたのは家康(幼名:竹千代)が8歳の時で今川氏の人質としてでした。19歳まで暮らした竹千代は今川義元の師雪斎より軍術や学問を学んでいます。
 次に訪れたのは天正13年(1585) のことで武田を滅ぼし三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を支配した徳川は駿府城を築城して拠点を浜松城より移しています。
 その後、家康は秀吉により関東へ移封され駿府を離れますが、江戸幕府を開き天下統一を果たした後、息子の秀忠へ将軍職を譲り大御所として駿府で隠居します。家康は元和2年(1616) に75歳で亡くなりますが、亡くなる直前まで政治力は維持され、「大御所政治」と呼ばれる江戸と駿府の二元政治が行われました。

静岡駅前
静岡駅前

 JR静岡駅北口広場には、平成21年に徳川家康公像と竹千代君像の二つの像が建立されました。平成19年に徳川家康公の駿府城入城四百年を記念して行われた「大御所四百年祭」事業の一環だそうで、台座の題字は、徳川宗家第18代当主 徳川恒孝氏が書かれたそうです。

竹千代君像
竹千代君像

徳川家康公像
徳川家康公像

消火栓の蓋
消火栓の蓋

JR静岡駅北口駅前広場 静岡県静岡市葵区黒金町50
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