烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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奥平信昌邸跡 浜松秋葉神社

 浜松市中区三組町にある浜松秋葉神社は、永禄13年、徳川家康が岡崎から浜松城に拠点を移した際に、北遠(浜松市天竜区)にあった秋葉山の権現社を城のすぐ近くの丘陵にあった家臣奥平信昌の屋敷に勧請したのが始まりです。火の神を祀る秋葉神社は、防火にご利益があるとして人々に崇敬されてきました。

鳥居
鳥居

 この地に屋敷があった奥平信昌は、三河出身の有力国人・奥平定能の長男で、元は奥平貞昌といいました。奥平氏は元々、今川氏の家臣でしたが、今川家が衰退すると一時徳川方に属しますが、その後武田家の傘下に加わっています。どうしても奥平氏を味方にしたい家康は、領地加増と貞昌に長女亀姫を嫁がせることを条件に家臣へ引き入れたそうです。
 奥平貞昌は長篠の戦いにおいて、長篠城に籠城して武田軍の猛攻をしのぎ、織田・徳川連合軍の勝利に大きく貢献します。戦後、貞昌の功績を賞賛した織田信長により「信」の字を贈られ「信昌」と改名。家康からも名刀大般若長光を拝領し、長篠城に替わる「新城城」の築城を許され大名となっています。

拝殿
拝殿

 なお、武田家滅亡後、家康は多くの旧武田の家臣を召し抱えていますが、その際に家康への忠誠を誓わせた起請文を秋葉神社に奉納させています。
 徳川四天王にも数えられる井伊直政の部隊は、武具などが赤で統一され「井伊の赤備え」として知られていますが、これも「武田の赤備え」として知られた武田軍を井伊家が編入したためと言われています
秋葉神社は第二次世界大戦の空襲で焼失したため本物は残っていませんが、その写しが近年発見されたそうです。

かがり火
かがり火

 奥平信昌は囲碁界とも関わり深い人物で、本因坊算砂の門人だったそうです。徳川家康に囲碁の手ほどきしたのも信昌だと言われ、師匠の算砂を家康に引き合わせたのも信昌であったと伝えられています。

奥平信昌邸跡の碑
奥平信昌邸跡の碑

静岡県浜松市中区三組町39

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