烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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五社神社と山本源吉

 浜松の「五社神社諏訪神社」は、曳馬城主・久野越中守が城内に創建した事に始まる「五社神社」と、延暦10年(791)に坂上田村麻呂が東征の際に創建したと伝えられる「諏訪神社」が、共に昭和20年の空襲で焼失し、昭和35年(1960)に合祀され再建された神社です。
 両社とも、天正7年(1579)に、後の二代将軍徳川秀忠公が浜松で誕生した際に産土神とされたことから、江戸時代に徳川家から庇護されて発展してきました。

五社神社諏訪神社
五社神社諏訪神社

 ところで五社神社は、囲碁の歴史とも関わり深い場所でもあります。浜松出身で「浜松の源吉」として名を馳せた棋士、山本源吉は宝暦13年(1763)に生まれ、幼い頃から囲碁が強い事が近隣で知られていました。明和8年(1771)、源吉が9歳の時に、本因坊察元が上京の途上で浜松に宿泊すると、五社神社の宮司が源吉を察元に紹介。源吉は察元門下の初段格の棋士と五社神社で対局し五子で勝ちます。察元は源吉の入門を奨めますが、この時は父親が、まだ幼すぎるとして固辞。17歳の時に再び招かれて江戸へ上り察元の門人となっています。

拝殿
拝殿

 江戸での源吉は、寛政6年(1794)には四段まで昇進し門下第一の高弟として活躍します。享和元年(1801)に服部因淑と先相先で21局を打ち11勝10敗と勝ち越し、享和3年(1803)には、本因坊跡目であった元丈に定先で5勝3敗1打ち掛けとし五段に昇段します。同年、後に元丈の跡目候補となる奥貫智策は、先相先1勝7敗で打ち込まれたことから奮起し、文化6年(1809)に浜松に帰った源吉を訪ね対局。互先11局を打って、5勝5敗1ジゴとしています。
 このように、囲碁界で活躍した山本源吉の原点が五社神社にあるのです。

狛犬
狛犬

静岡県浜松市中区利町302-5
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