烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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曳間城跡 浜松東照宮

 浜松城近くの浜松市中区元城町にある、徳川家康を祀った浜松東照宮は、明治19年(1886)、浜松城の前身である曳馬城(引間)跡に創建されました。
 曳馬城は、駿河国の今川氏が支配する、浜松の拠点の城でしたが、今川氏滅亡後、駿河では徳川と武田との勢力争いが起きます。徳川家康は曳馬城を攻略すると、武田の侵攻に備え、元亀元年(1570)に本拠地を岡崎から曳馬へ移し、曳馬城へ入城します。そして、城を拡張する形で浜松城を築城しています。その際、曳馬という名が「馬を引く」、と敗北につながる縁起の悪い名称であったことから、かつてこの地にあった荘園の名に因み「浜松」と改めたそうです。

浜松東照宮
浜松東照宮

 曳馬城は家康以外に、もう一人の天下人、豊臣秀吉とも関わりの深いしろ城です。
 秀吉は16才の頃から3年間、今川氏の家臣で曳間城主・飯尾豊前守の配下、松下家に仕えています。ある日、主人に連れられ、曳間城へやって来た秀吉は、皆の前で猿まねをし、城主の家族を笑わせたという記録が残っています。
 二人の天下人と関わり深い浜松東照宮は、そのため、出世神社とも呼ばれています。

拝殿
拝殿

家康と秀吉の像
家康と秀吉の像

 神社参道脇に大きな碑がありましたので調べてみました。井上延陵という人物の顕彰碑だそうで、井上八郎という幕末の幕臣で、名は清虎、延陵は号です。
 延岡藩出身の八郎は、文政11年(1828)、江戸へ出て千葉周作の玄武館に入門します。嘉永4年(1851)には飛騨高山に赴き、郡代の息子小野鉄太郎(後の山岡鉄舟)に剣術を教えたとの記録も残っています。
 その後、幕臣となると、講武所剣術師範役並、遊撃隊頭取、歩兵奉行を歴任。明治維新後、徳川慶喜に従い駿府へ移ると、明治元年(1868)には浜松城代を務めています。
 八郎は職の無くなった武士救済のために住居の建設や、職業訓練を実施。物資輸送のために水運も整備しています。引間城跡に東照宮が建てられたのも八郎の尽力によるものだそうです。

井上延陵の碑
井上延陵の碑

静岡県浜松市中区元城町111−2
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