烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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浜松城 天守台と天守門

 徳川家康により築城された浜松城は、土造りの城で、石垣や瓦葺の建物は無かったと考えられています。
 石垣などを整備したのは、家康が江戸へ移った後、秀吉の命により二代目城主となった堀尾吉晴の時代で、天守閣が建造されたのもこの時だと考えられています。
 堀尾吉晴は豊臣政権では、五大老と五奉行との意見が合わないときに仲裁する三中老の一人で、息子の代も含めて浜松城に11年間在城。吉晴はその後、関ケ原の戦いで家康に協力した功績により出雲国富田への移封となり、昨年国宝へ指定された松江城を築城しています。
 なお、浜松城の天守台は江戸時代中期の絵図には描かれていません。江戸城と同じように火災で焼失した後、再建されなかったようです。
 現在の天守台は、残されていた石垣の上に昭和33年に再建されたもので、3重4階、鉄筋コンクリート造の模擬天守閣で、内部は資料館と展望台として整備されています。

天守台
天守台

 浜松城の天守台の特徴として、地下に井戸が掘られている点があげられます。籠城の際の水源であり、この時代の城にはよく造られていたそうで、堀尾が築城した現存する松江城にも地下に井戸が残されていました。

天守台の井戸
天守台の井戸

 天守門は天守曲輪の大手につくられた門で、浜松城を代表する建物でしたが明治6年(1873)に取り壊されます。
 平成21年(2009)からの発掘調査で見つかった礎石や、19世紀に描かれた絵図などをもとに、平成26年(2014)に復元され、一般公開されています。

天守門
天守門

静岡県浜松市中区元城町100−2
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