烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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長楽寺

 円山公園の近くにある長楽寺は社伝によると、延暦24年(805)に桓武天皇の勅命により最澄を開基として創建された寺院であると言われます。当初は天台宗の寺院でしたが室町時代に時宗へ改められています。平清盛の娘で安徳天皇の生母である建礼門院(平徳子)が平家滅亡後、剃髪し出家した寺としても知られています。




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長楽寺山門




 長楽寺の本堂は、寛文6年(1666)に造営された北区西賀茂の正伝寺仏殿を、明治23年に移築したものです。




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本堂




 境内にある「尊攘碑」に刻まれた「尊攘」の二文字は水戸烈公斉昭の真蹟です。尊王攘夷運動の中心人物であった斉昭公ですが、将軍継嗣問題で、紀州藩主・徳川慶福を擁す井伊直弼を中心とする南紀派に対して、息子である一橋慶喜を擁す一橋派を形成して争った結果敗北。安政5年(1858)に直弼が大老となり慶福(家茂)は第14代将軍に就任します。
 大老となった直弼は日米修好通商条約を独断で調印したため、斉昭は、越前藩主・松平慶永と尾張藩主・徳川慶恕、一橋慶喜らと共に江戸城無断登城の上で井伊直弼を詰問します。しかし、逆に直弼から水戸屋敷での謹慎を命じられ、幕府中枢から排除されます。
 安政6年(1859)には、日米修好通商条約調印に激怒した孝明天皇が、調印への叱責と攘夷実行を盛り込んだ「戊午の密勅」を水戸藩に下されたことに井伊直弼が激怒、斉昭は水戸での永蟄居を命じられ、事実上政治生命を絶たれることとなります(安政の大獄)。
 長楽寺には「戊午の密勅」を受け取った水戸藩京都留守居役・鵜飼吉左衛門親子の墓碑があります。鵜飼親子は事件発覚後に処刑されますが、後に赦され、明治24年には従四位の官位が贈られたことから子孫により墓碑のそばに「尊攘碑」が建立されました。




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尊攘碑




 文久3年(1862)、水戸藩主慶篤(斉昭の長男)が尊王攘夷派烈士300人余りをひきいて率いて上洛。京都の本国寺に駐屯します。水戸烈士は本国寺党と呼ばれ明治元年まで駐屯していましたが、長楽寺には本国寺党の首領であった家老・大場一真斎の墓碑があるため、京都で亡くなった本国寺党の殉難者85名の名を裏面に刻んだ「水戸藩兵留名碑」が建立されています。




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水戸藩兵留名碑




都府京都市東山区八坂鳥居前東入る円山町626



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