烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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栄閑院 杉田玄白の墓

 港区虎ノ門にある栄閑院には、江戸中期の蘭方医で、『解体新書』などで知られる杉田玄白の墓があります。
 玄白は通称で、いみな名は翼(たすく)、字は子鳳、号は鷧、晩年に九幸翁と名乗っています。若狭国小浜藩の藩医杉田甫仙の子として江戸の藩邸で生まれますが、難産であったため、そのとき母を失います。
 漢学を宮瀬竜門に、医学を幕府医官西玄哲に学んだ玄白は、宝暦2年(1752)に小浜藩医となり、宝暦7年(1757)には江戸日本橋で開業し、町医者となっています。
 その後、家督を継ぎ藩の奥医師となった玄白は、江戸参府のオランダ商館を通じ、オランダ医書『ターヘル・アナトミア』を入手。明和8年(1771)に、前野良沢、中川淳庵らと江戸の小塚原の刑場で処刑された罪人の遺体解剖を実見し、本の内容が正確である事を確認します。その後、同志とともに翻訳作業に取りかかり、安永3年(1774)『解体新書』5巻を刊行。日本の医学界に多大な影響を与えています。
 安永5年(1776)、「天真楼」と呼ばれる医学塾を開き、多くの門人を育てた玄白は、文化14年(1817)に85歳で亡くなっています。

栄閑院入口
栄閑院入口

本堂
本堂

杉田玄白の墓
杉田玄白の墓

 ところで、杉田玄白の墓がある「栄閑院」は、通称「猿寺」と呼ばれています。昔猿回しに扮した泥棒が逃げ込んできましたが、住職に諭され改心し、諸国行脚に旅立っていきます。その際、連れていた猿を寺で預かりましたが、猿が境内で芸を見せたりして人気者になったことが由来だそうです。境内には猿塚や猿の彫刻がありました。

猿塚
猿塚

猿の彫刻
猿の彫刻

港区虎ノ門3-10-10

【関連記事】 小塚原回向院(南千住回向院)

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