烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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歴史の舞台となった 愛宕神社

 徳川家康によって創建された愛宕神社は、様々な歴史の舞台となっています。
 安政7年(1860)に桜田門外において水戸藩、薩摩藩の脱藩浪士が、大老・井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」で、いわゆる桜田烈士は、決行前日に、以前紹介した品川宿の旅籠屋「土蔵相模」で宴を開き宿泊。そして当日の朝早くに先発隊を除くメンバーは愛宕神社に集結しています。雪が降り積もる石段を上り集まった桜田烈士は、神社で成功を祈り、襲撃場所へ向かったのかもしれません。神社境内には、昭和16年(1941)に「桜田烈士愛宕山遺蹟碑」が建立されています。 碑には桜田烈士18名全員の名と、当日の様子が刻まれています。

桜田烈士愛宕山遺蹟碑
桜田烈士愛宕山遺蹟碑

 戊辰戦争で、江戸まで攻め上がった新政府軍ですが、江戸城総攻め直前に西郷隆盛と勝海舟の会談が行われ、無血開城が行われます。両者の会談は複数回行われていますが、ここ愛宕神社でも行われていて、西郷と勝は愛宕山から眼下に広がる江戸の街をながめながら、この街を灰にしてはいけないとの想いを深め、戦いを回避したと言われています。
 なお、現在はビルが立ち並び、当時の面影を見ることは出来ませんでした。

愛宕神社からの眺め
愛宕神社からの眺め

 余談ですが、愛宕神社境内には碑がたくさん建立されていますが、その中に上野公園に囲碁の句碑が建立されている天明期の狂歌師・蜀山人(大田南畝)の狂歌も刻まれていました。

狂歌碑
狂歌碑

蜀山人の狂歌
蜀山人の狂歌

東京都港区 愛宕1丁目5-3
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