烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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紅葉館と囲碁

 現在、東京タワーが建っている場所にあった「紅葉館」は会員制高級料亭として外国人接待や、政財界人の集いの場として用いられてきましたが、囲碁の歴史においても度々、その名が登場しています。
 明治20年(1887)には前年に亡くなった本因坊秀甫追善碁会が開催が開催され、大正11年(1922)には、対立する本因坊門と方円社に替わる第三局として雁金準一、高部道平、鈴木為次郎、瀬越憲作の4名の棋士によって設立された裨聖会(ひせいかい)の発会式が行われています。囲碁界は、名人本因坊秀哉に次ぐ実力者たちによる「裨聖会」結成により、危機感を抱いた坊社双方が歩み寄り「日本棋院」設立へと向かっていくことになります。
 家元としての最後の本因坊秀哉は1938年、64歳の時に現役引退を発表。その引退碁の相手は、リーグ戦を勝ち抜いた木谷實に決まりました。引退碁の打ち初めは6月26日に紅葉館で行われ、史上最長の持ち時間40時間、初の封じ手制導入により20回の打ち掛けをはさみ、途中秀哉が入院するなどしたものの場所を変えながら12月4日に終局。木谷が5目勝ちとなります。この対局を観戦した川端康成は、後にその様子を小説『名人』として発表しています。

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東京タワー : 東京都港区芝公園4丁目2-8
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