烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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頼山陽の墓 長楽寺

京都の円山公園近くにある長楽寺には江戸時代後期の歴史家で思想家でもある頼山陽の墓があります。円山公園内にも案内のための碑が建っていることから有名な人物であることが分かります。



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案内の碑(円山公園内)



 頼山陽は儒学者・頼春水の息子として安永9年(1780)に大阪で生まれます。天明元年(1781)に父が広島藩の学問所創設にあたり儒学者として招かれた事から広島城下で育ち、寛政9年(1797)には江戸に遊学し、父の学友・尾藤二洲に師事しています。
 一旦、広島へ帰郷した後、寛政12年(1800)に突如脱藩をしますが京都で捕まり、連れ戻されて自宅へ3年間幽閉されます。しかし、この間、執筆活動に集中し、武家の歴史をまとめた国史「日本外史」を完成させます。「日本外史」はベストセラーとなり幕末の尊皇攘夷運動に多大の影響を与えました。
 謹慎が解けた後、山陽は京都で開塾し、そこへは多くの文化人が集まりサロンと化します。
 天保3年(1832)に53歳で亡くなりますが、亡くなる直前まで執筆活動を行い死顔には眼鏡が架けらかれたままだったと伝えられています。



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頼山陽の墓



 頼山陽の墓の近くに、息子の頼三樹三郎の墓もあります。三樹三郎は父・山陽をはじめ、著名な儒学者の元で学び尊皇運動に感化されていきます。
 江戸幕府の朝廷に対する軽視政策に反発し勤王の志士として活動したため危険人物の一人と見なされ、幕府による安政の大獄で捕らえられて、江戸の福山藩邸に幽閉されます。山陽の愛弟子達が助命嘆願を行いますが、幕府の姿勢は変わらず、江戸伝馬町牢屋敷で橋本左内らとともに斬首されます。墓は京都の長楽寺以外に東京の松蔭神社にもあります。



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頼三樹三郎の墓


長楽寺:都府京都市東山区八坂鳥居前東入る円山町626

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