烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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初代式守伊之助の墓

 式守伊之助は大相撲の立行司の名跡で、木村庄之助に次ぐ2番目の地位にあたります。当代は40代ですが、その初代の墓が谷中霊園にあります。
 初代式守伊之助は、現在の静岡県賀茂郡南伊豆町出身で、初代伊勢ノ海の門人。明和4年(1767)より式守伊之助を名乗り、安永3年(1774)にはNo2の地位に就いています。寛政5年(1793)には現役を退き、式守蝸牛を名乗ったことから谷中霊園には「蝸牛墓」と刻まれています。

初代式守伊之助の墓
初代式守伊之助の墓

 全くの余談ですが、初代式守伊之助の墓の裏にあった墓の文字は勝海舟の書とあり、興味を惹かれ調べてみました。
 墓石に刻まれた 「増田数之助」という人物については幕末に活躍した川口の鋳物師・増田安次郎の実弟にその名を見ることが出来ます。増田兄弟は後に砲術奉行となる高島秋帆と協力して、日本では製造不可能と言われていた18ポンドカノン砲を完成。全国各地に配備されます。パリのアンバリッド軍事博物館には下関戦争勝利により英仏軍が戦利品として持ち去った長州藩の大砲が展示されていますが、その大砲にも「増田安次郎」の銘があるそうです。

勝海舟書の墓
勝海舟書の墓

初代式守伊之助の墓 : 谷中霊園 乙8号5側
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