烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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三遊亭圓遊の墓所

 谷中霊園の話題に戻りますが、霊園内に明治時代の噺家、初代三遊亭圓遊の墓があります。小石川小日向の紺屋「藤屋」清五郎の長男で、本名竹内金太郎。17歳で家業を継いだものの病で2年後に引退。以前から興味持っていた芸事の道に進み、明治元年に二代目五明楼玉輔に入門。「雀家志う雀」としてして活躍します。24歳の時に三遊亭朝門に移り「圓遊」を襲名し、明治13年(1880)に真打に昇進すると、滑稽なステテコ踊りと明治の風俗を取り入れた古典の改作で人気を誇り、近代落語の祖の一人と称されます。
 なお、「圓遊」の名は、以前に金原亭馬生・三遊亭新朝が名乗り、正式には三代目に当たりますが、普通は竹内金太郎が初代と呼ばれ、当代は五代目となります。

三遊亭圓遊の墓所
三遊亭圓遊の墓所

三遊亭圓遊の墓
三遊亭圓遊の墓

 谷中霊園の初代三遊亭圓遊の墓は、竹内家と若柳家合同の墓所となっています。
 日本舞踊の流派のひとつ「若柳流」の二世家元である初代若柳吉蔵は三遊亭圓遊の息子です。本名は竹内幸太郎と言い、父の門下として「三遊亭小圓遊」を名乗り活動していましたが、若柳流の創始者・初代若柳壽童の門人となり舞踊家へ転じています。
 壽童の跡を継いだ吉蔵は、若柳流を日本全国規模の勢力に拡大し、現在では日本舞踊における5大流派のひとつとして数えられています。

若柳吉蔵の墓
初代若柳吉蔵の墓

三遊派の碑
三遊派の碑

谷中霊園(天王寺墓地) さくら通り沿いに道標があります。
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| 明治・大正時代 | 09:01 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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