烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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全生庵 山岡鉄舟の墓

 台東区谷中五丁目にある全生庵は、臨済宗国泰寺派の寺院で、「幕末の三舟」のひとり山岡鉄舟が、明治維新に殉じた人々の菩提を弔うために明治16年(1883)に創建しています。
 墓所には鉄舟の墓もあります。

全生庵入口
全生庵入口

 山岡鉄舟は幕末維新期に活躍した政治家です。名は高歩,通称鉄太郎と言い、旗本小野朝右衛門の子として江戸に生まれ、剣を北辰一刀流千葉周作に,、槍を刃心流山岡静山に学び,ます。そして山岡静山の妹と結婚し山岡家を継ぎます。「幕末の三舟」のひとり高橋泥舟は義兄にあたります。剣豪として知られた鉄舟ですが、母方の先祖は戦国時代の剣豪、塚原卜伝と聞くと納得できるような気がします。
 ,文久2年(1862)には、後に新選組となる浪士組の取締役を拝命するなどし、明治1年(1868)には,精鋭隊頭として徳川慶喜の警護に当たっていた鉄舟は、義兄高橋泥舟の推薦により勝海舟より官軍の西郷隆盛との折衝を依頼され、勝海舟と西郷隆盛の会談を実現。徳川家救済と江戸開城に尽力します。
 維新後は静岡藩権大参事,伊万里県知事などを歴任し明治21年(1888)に53歳で亡くなった鉄舟の葬儀では、明治天皇の意向があり、四谷の自邸を出た葬列が皇居前で10分ほど止まり、天皇が高殿から目送されたと伝わっています。

山岡鉄舟の墓
山岡鉄舟の墓

境内にある顕彰碑
境内にある顕彰碑。書は勝海舟によるものです。

東京都台東区谷中5-4-7
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