烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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赤穂浪士の供養塔 観音寺

 谷中の観音寺は、慶長年間(1596-1615)に神田北寺町に創建され、延宝8年(1680)に現在地へ移転したと伝えられています。当初長福寺と称していましたが、享保元年(1716)に観音寺と改称しています。

観音寺山門
観音寺山門

本堂
本堂

 観音寺は、赤穂浪士ゆかりの寺として知られています。赤穂浪士の一人、近松勘六行重と、その異母弟・奥田貞右衛門行高の兄弟、文良(後の観音寺6世・朝山大和尚)が修行していた関係で、度々、浪士達の密談がここで行われていたそうです。
 本堂に向かって右側に「四十七士慰霊塔」と伝えられる宝篋印塔があります。上部に四方仏を表す種字(梵字)、下部に宝篋印陀羅尼経、宝永4年(1707)3月吉日、長福寺6世朝山と刻まれています。

赤穂浪士の供養塔
赤穂浪士の供養塔

 観音寺の南面の塀は、「築地塀」と呼ばれる土と瓦を交互に積み重ねてつくられた土塀です。この築地塀は国登録有形文化財(建築物)に指定され、平成4年には台東区の「台東区まちかど賞」を受賞するなど、寺町である谷中の代表的な風景として地元の方々にも愛されています。

築地塀
築地塀

台東区谷中5-8-28
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