烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

長安寺 狩野芳崖の墓と板碑

 谷中にある長安寺に、幕末から明治期に活躍した日本画家・狩野芳崖の墓があります。日本絵画最大の流派「狩野派」の一派である長府藩狩野派の御用絵師、狩野晴皐の長男として下関で生まれ、19歳の時に江戸へ出ると狩野勝川院雅信に師事。橋本雅邦と共に勝川院門下の龍虎とうたわれます。
 明治維新後、西洋画が日本へ流入すると、日本画の人気は凋落し、芳崖は生活に困窮しますが、アメリカの美術史家フェノロサや岡倉天心の日本画復興運動に参加。日本画の伝統に西洋絵画の写実や空間表現を取り入れた独自の画風を確立し、当時の美術界を代表する画家となります。東京美術学校(後の東京藝術大学)設立にも尽力しますが、その開校直前の明治21年(1888)に病により亡くなっています。

長安寺入口
長安寺入口

狩野芳崖の墓(左)
狩野芳崖の墓(左)

狩野芳崖の碑
狩野芳崖の碑

 長安寺には、死者の菩提を弔うため、あるいは生前に自らの死後に供えて供養を行うために建立される塔婆の一種「板碑」があります。
 長安寺には、鎌倉時代の板碑三基、室町時代の板碑一基があります。一つは弘安8年の年号が刻まれていますが、弘安とは元寇の時代になります。
 安寺の開基は、寛文9年(1696)ですが、板碑は、開基をさかのぼることおよそ400年前のものであることから、長安寺開基以前、に、この地にあったとされる真言宗の寺と何らかの関連があったと考えられています。

板碑
板碑

台東区谷中5-2-22
スポンサーサイト

| 歴史あれこれ | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。