烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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芳野金陵の墓

 芳野金陵(よしの きんりょう)は、江戸時代後期の儒学者です。現在の千葉県柏市で、22歳の頃、儒学者・亀田鵬斎の息子、亀田綾瀬に師事します。文政9年(1826)から現在の台東区浅草橋で私塾を開き、弘化4年(1847)より駿河田中藩主・本多正寛に仕えた金陵は、ペリー艦隊が来航すると、老中・久世広周に国防策を建議し、以後、度々、諮問を受けています。久世広周は囲碁界にも影響力をもち、十二世井上節山因碩が門人を斬り殺し退隠した際に松本錦四郎を後継者に推挙した人物です。
 金陵は明治元年(1868)1に昌平学校教授となりますが、明治3年(1870)に廃校となった後、引退し77歳でなくなっています。

芳野金陵の墓
芳野金陵の墓

 谷中霊園の芳野金陵の墓所に、息子の芳野桜陰の墓碑がありました。芳野桜陰は安井息軒らに師事し,文久3年には昌平学校の助教となります。元治元年に天狗党の乱に参戦し幕府軍と戦いますが敗北。明治維新後は新政府に仕え、明治5年に29歳で亡くなっています。

芳野櫻陰墓碑
芳野櫻陰墓碑

東京都台東区谷中 谷中霊園 天王寺墓地
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| 幕末・明治維新 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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