烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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五代目出羽海の墓の玉垣

 久しぶりに谷中霊園を訪れたので、以前紹介した五代目出羽海のお墓にもお参りしました。五代目出羽海は明治期に活躍した第19代横綱・常陸山谷右エ門で、引退後、出羽ノ海を襲名。栃木山守也、大錦卯一郎、常ノ花寛市の3人の横綱を育て、 大正11(1922)年に亡くなっています。

出羽海の墓
出羽海の墓

 今回は、墓所を囲む玉垣に注目してみました。入口に向かって左側で最初に刻まれているのは出羽海の弟子の第27代横綱・栃木山守也です。出羽海が亡くなった頃の横綱でした。
 その隣りにあるのが栃木山守也と同時期に活躍した同門の第26代横綱・大錦卯一郎の名前です。大錦は出羽海が亡くなった翌年に、力士会が退職金の倍増を求め相撲協会と対立し東京三河島の工場にたてこもり、春場所をボイコットした「三河島事件」で横綱として事態を収拾できなかったとして現役を引退しています。
 大錦の隣りには当時の大関・常ノ花寛市の名が刻まれています。常ノ花は、この後、第31代横綱となり、引退後は年寄・藤島を襲名。第2代相撲協会理事長に就任しています。

玉垣1
玉垣1

 入口に向かって右側で最初に刻まれているのは「入間川梶之助」の名です。元は大阪相撲で活躍する力士でしたが、東京でのトラブルにより大阪へ移籍した常陸山(出羽海)と意気投合し、常陸山が東京復帰すると同じ出羽ノ海部屋へ移籍。両國梶之助を襲名します。最高位は小結で、引退後は年寄・入間川を襲名し入間川部屋を創設。五代目出羽海が亡くなると出羽ノ海部屋を継承しています。
 その隣りには当時の年寄・春日野七五郎の名があります。年寄としては珍しく行司出身で第二代木村宗四郎の事です。
 その隣りにあるのが秀の山與四郎の名です。現役時代の四股名は小常陸由太郎で最高位は西関脇。五代目出羽海の養子となりますが41歳の若さで死亡。墓は出羽海の墓の隣りにあります。

玉垣2
玉垣2

【関連記事】 第19代横綱 常陸山谷右エ門 (五代目出羽海)

東京都台東区谷中 谷中霊園  甲13号 2側
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