烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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本因坊秀哉の伯父 水産翁村田保

 谷中霊園に、水産伝習所(東京水産大の前身)の創設など水産振興に貢献し「水産翁」と称された村田保の墓があります。
 村田保は天保13年(1842)に肥前唐津藩(佐賀県)藩士の長男として大阪藩邸で生まれ、10歳で江戸に出ると、幕臣村田鎌六の養嗣子となります。
 明治元年(1868年)昌平学校に出仕し、翌年には新律綱領(刑法典)の起草。その一環として明治4年(1871)にイギリス留学し西洋の法律を学びます。帰国後、刑法改正に取り組み、明治13年(1880)にはドイツに留学。帰国後に民法、商法、民事訴訟法等の制定に当たっています。
 ドイツ留学中にベルリンで開催されていた万国水産博覧会を見学した村田は、水産振興の必要を実感し帰国後、大日本水産会、水産伝習所の設立、水産講習所設置に指導的役割を果たします。そして、明治31年(1898)の大日本水産会において小松宮彰仁親王より水産翁の称号が贈られています。
 この他、貴族院勅選議員であった村田は、大正3年(1914)に軍艦発注に絡む贈収賄事件「シーメンス事件」が発生すると、山本権兵衛内閣を厳しく糾弾した事でも知られています。山本首相の辞任を求めて議会にて過激な発言を繰り返したため議長の徳川家達に注意を受けた村田は、議員を辞職し政界を引退しています。

 ところで、水産翁村田保は21世本因坊秀哉の伯父だそうです。具体的なつながりは分かりませんでしたが、本因坊秀哉こと田村保寿の父、田村保永は旗本で上野戦争では彰義隊士として参戦しています。村田保は養子ですので夫人が田村保永かその夫人の兄弟姉妹という事かも知れません。

村田保の墓
村田保の墓

谷中霊園 乙5号1側
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