烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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都築米子の墓

 久しぶりに谷中霊園を訪れました。
 以前、本因坊秀栄や田村保寿(本因坊秀哉)と対局していた都筑仙子(仙芝)の墓を紹介し、仙芝の養女、都筑米子についても紹介しました。その時は米子の墓は別にあるのだろうと思っていましたが、よくよく調べてみると米子も、この墓に眠っている事がわかりました。墓は仙芝夫妻の墓として建てられたものですが、墓石の裏側に「都築よね」の名も刻まれています。
 都築米子は仙芝の養女となり、14歳のころより碁を覚えます。本因坊秀栄、梅主長江らに師事し、明治23年(1890)に初段、大正14年(1925)には4段に昇段しています。方円社定式手合にも参加。「女将軍」の異名をとり、同じ女流棋士の喜多文子のライバルとして活躍します。昭和12年(1937)に66歳で亡くなり、追贈五段が贈られています。
 米子は生涯独身だったそうですが、墓石には米子より後に亡くなった人の名前が刻まれ、一番新しいのは平成22年の日付がありました。仙芝に別の子がいたのか、米子が養子を迎えたのか分かりませんが無縁墓になる事なく子孫の方がしっかり管理されているようです。
 余談ですが、隣りにある方円社社長の中川亀三郎の墓(中川家の墓)は、平成6年に建立されたもので、墓誌を見ると一番新しい日付は平成27年となっています。初代中川亀三郎は石井千治を養子としますが、千治も弟子の小野寺新(中川新之)を養子としています。現在の中川家は中川新之の血筋と思われます。

都築仙子の墓
都築仙子の墓。後ろの区画が中川亀三郎の墓です。

裏面に刻まれたよね(米子)の名
裏面に刻まれた「よね(米子)」の名

【関連記事】 囲碁棋士 都築仙子

東京都台東区谷中 谷中霊園 乙6号2側
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