烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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中央棋院が置かれた喜福寺

 文京区本郷の東京大学の道向にある喜福寺は、あまり知られていませんが囲碁界とも関わり深い寺院です。
 明治以降、方円社と家元との間で対立を繰り返してきた囲碁界も、大正時代に入りようやく「中央棋院」が設立され合流します。
 「中央棋院」は新しく出来た東京駅前の丸の内ビルディングへ置かれましたが、間もなく、資金運用などの運営方針をめぐって旧方円社と坊門側が再び対立し方円社側が一方的に合同取り消し坊門側を事務所から締め出してしまいます。
 締め出された坊門側は方円社側を脱退とみなし、「中央棋院」を現在の日本橋2丁目あたりに移転しています。
 そうした混乱の中、大正12年9月1日に未曾有の被害をもたらした関東大震災が発生。中央棋院も方円社も被災し事務所が使用不能となります。
 記録によると、震災後、中央棋院はここ喜福寺を仮事務所ととして活動を再開。その後、牛込船河原町に小岸壮ニが借りた家に移転するまで拠点としていました。
 本因坊秀哉の後継者と目されていた小岸壮ニは中央棋院の立て直しに奔走していましたが、腸チフスにより死亡。喜福寺にて荼毘に伏され本妙寺に葬られたそうです。
 そんな囲碁界と関わりの深い喜福寺ですが、当時を偲ばせるものは何一つありませんでした。

喜福寺参道
喜福寺参道

喜福寺本堂
喜福寺本堂

【関連記事】
中央棋院跡
日本棋院胎動の地 小岸壮ニ宅跡

文京区本郷5-29-13
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