烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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日本棋院胎動の地 小岸壮ニ宅跡

 最近、囲碁史に関する話題をあまり紹介していませんでしたので、初公開の話題を紹介します。



 明治以降、家元側と方円社の二大勢力を中心に離合集散を繰り返してきた囲碁界でしたが、大正時代に入り雁金準一らが「裨聖会」を設立すると新興勢力に危機感を抱いた家元と方円社の間で合併の機運が高まり大正12年1月に合併組織「中央棋院」が設立されます。事務所は方円社があった丸ビルに置かれましたが僅か3ケ月後の4月に旧方円社側が一方的に合同解消を宣言し家元側を事務所から締め出してしまいました。家元側は旧方円社側を脱会とみなし「中央棋院」の名を引き継ぎ別の場所で活動を始めます。



 このような状態で同年9月に発生したのが関東大震災です。



 震災により、それぞれの事務所は被災し仮事務所へ移転します。「中央棋院」では本郷の喜福寺で活動を再開した後に本因坊秀哉の後継者と目されていた弟子の小岸壮ニの自宅に事務所を移転しました。



 小岸の家は牛込の船河原町にあり、以前は俳人・小説家の高浜虚子が雑誌「ホトトギス」の発行所として使っていたそうで、印刷機が設置されていた事務所は十分な広さがあり碁会所としては最適と小岸が借りて自宅としていました。



 小岸は中央棋院の復興に奔走していましたがしていましたが翌年(大正13年)1月に腸チフスにより26歳の生涯を終えます。秀哉の跡を継ぎ22世本因坊となっていたかもしれない小岸は巣鴨の本妙寺で歴代本因坊とともに眠っています。



 小岸の死後まもなく囲碁界は再び合併へと動き出し3月には「日本棋院」設立が発表されます。この時、小岸の自宅であった「中央棋院」が「日本棋院」の仮事務所となり正式活動に向けた準備が行われました。



 日本棋院胎動の地ともいえる小岸の自宅は「牛込船河原町12」となっていて、私がよく行う明治時代の地図と現在の地図の照合を行ったところ、現在の住所は「市谷船河原町12 東京理科大学神楽坂キャンパス5号館」で一角には「新宿区立市谷船河原町公園」がありました。




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東京理科大学神楽坂キャンパス5号館

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校舎の一角は「新宿区立市谷船河原町公園」となっている。

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