烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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吉祥寺 二宮尊徳の墓

 駒込の吉祥寺に江戸後期の農政家で二宮金治郎像で知られる二宮尊徳の墓があります。金治郎像は有名ですが、実際に何をした人なのか知らない人も多いのではないでしょうか。

案内板
案内板

 二宮尊徳は、相模国足柄上郡栢山村(小田原市)出身で、幼名を金次郎と言いました。少年時に父母を失い一家は離散、金次郎は伯父の家に預けられますが努力の末、20歳の頃には失われた土地を買い戻し家を再興します。
 その後、若党として仕えた小田原藩家老服部家の財政を建て直し、貧しい藩士救済のための金融互助組織「五常講」を設立します。
 二宮の実力を見込んだ藩主大久保忠真は、財政難に苦しむ分家旗本宇津氏の領地下野国桜町領(栃木県)の財政再建を託します。桜町領再建は10年にも及ぶ難事業でしたが、その成功により二宮に多くの諸領諸村が復興を依頼。晩年は幕臣として日光神領の立直しも行っています。
 桜町領での経験をもとに独特の農法,農村改良策(報徳仕法)を確立した二宮は多くの弟子を指導し、安政3年に70歳で亡くなるまでに指導を受けた地域は600ヶ村に達したといわれています。

二宮尊徳の墓
二宮尊徳の墓

 明治以降、政府は孝行,学問,勤勉,精励,節倹など,多くの徳を備えた人物として顕彰、昭和初期より小学校校庭にお馴染みの薪を背負いながら本を読んで学習する金次郎像が設置され定着していきます。
 そういえば、テレビで最近、歩きスマホが危ないからと、座って本を読む金次郎像が造られたと紹介していました。色々な考えがあるでしょうが、なんだかな?と感じてしまいました。

二宮金次郎像
二宮金次郎像

東京都文京区本駒込3-19-17
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| 江戸時代 | 07:00 | comments:1 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT

 二宮尊徳は、囲碁や将棋を嗜んでいたようで、次のような言葉を残しています。

 人と付き合う場合、相手が自分より貧しく才能が無い場合、自分も将棋の手合割のように才能や財力を外した付き合いをし、相手が自分より富も才能もある場合は囲碁の様に自分も幾目も置いて交際すべきだ。

 碁盤や将棋盤に筋があるように人間の世界にも筋道がある。碁も将棋も盤面の筋道がなかったら成り立たず、子供が碁や将棋をもてあそぶようなものだ。人間も筋道として礼法を尊ばなければならない。

| 烏鷺 | 2016/05/21 22:50 | URL |















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