烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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吉祥寺(駒込)

 文京区本駒込三丁目にある吉祥寺へお参りしてきました。吉祥寺は太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ったところ、「吉祥増上」の刻印が出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりといわれています。徳川家康入府で駿河台(現在の都立工芸高校一帯)へ移り、明暦3年(1657)の明暦の大火で焼失したため現在地に移転しています。
 江戸時代には境内に幕府の学問所「昌平坂学問所」と並び漢学の一大研究地であった学寮「旃檀林」が置かれ大いに繁栄したと言います。旃檀林は現在、駒澤大学となっています。
 吉祥寺は七堂伽藍を誇る壮大な寺院でしたが、東京大空襲で焼失し、当時の面影を残すのは山門(1802年建造)と経蔵(1804年建造)のみとなっています。

吉祥寺山門
吉祥寺山門

経蔵
経蔵

釈迦如来坐像
釈迦如来坐像

 吉祥寺の境内に「八百屋お七・吉三郎比翼塚」が建立されていました。江戸時代前期、天和2年 ( 1682 ) の大火のため家族と共に吉祥寺に避難したお七は寺小姓の吉三郎と恋に落ちます。やがて家が建て直され二人は離れ離れとなりますが、お七はもう一度火事になったら吉三郎と逢えると思い自宅に放火。鈴ヶ森刑場で火あぶりに処されています。
 文学や歌舞伎、文楽などで有名な八百屋お七と吉三郎比翼塚は文学愛好者により昭和41年(1966)に建立されたものです。

八百屋お七・吉三郎比翼塚
八百屋お七・吉三郎比翼塚

東京都文京区本駒込3-19-17
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