烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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福羽美静の墓

 以前、向島の「三囲神社」にある棋士・中山善吉の碑を紹介しましたが、碑の撰文を行った子爵福羽美静のお墓が青山霊園なある事が分かり久しぶりに訪れました。
 幕末・明治期の国学者で歌人でもあった福羽美静は、津和野藩士で京都の国学者・大国隆正の門人となり尊王攘夷思想に目覚めます。文久3年(1863)には、御所にて孝明天皇に仕えていましたが、「八月十八日の政変」による七卿の長州行きに同行し帰藩、藩政刷新に尽力し、慶応2年(1866)の第二次長州征伐では藩を長州藩支持にまとめています。
 明治政府では廃仏毀釈・神道政策推進に尽力し、後に元老院議官・貴族院議員を務めています。

福羽美静の墓
福羽美静の墓

 福羽美静の墓の隣りに養子の福羽逸人の墓がありました。官僚であり農学博士であった逸人は、小豆島でのオリーブ栽培や「ふくばいちご」として知られるイチゴ栽培、果物や野菜の品種改良などで多く貢献する一方、新宿御苑をはじめとする宮内省管轄の庭園等の整備などを行っています。

福羽逸人の墓
福羽逸人の墓

 福羽真城は福羽逸人の息子で陸軍大佐でした。昭和初期に立教大学に配属将校として赴任していた際、父が外国から持ち帰り、屋敷に植えていたタチバナモドキの生垣を寄贈したとの記録があります。現存しているか分かりませんが、少なくとも昭和40年代には残されていたようです。

福羽真城の墓
福羽真城の墓

東京都港区南青山2丁目32-2 青山霊園1種イ4-7
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