烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

日本における近代スポーツの父 F.W.ストレンジの墓

 青山霊園に久しぶりに訪れましたので、囲碁界とも関わり深い李氏朝鮮末期の革命家・金玉均のお墓にもお参りしました。
 その近くにある墓の脇に「日本の近代スポーツの父 F.W.ストレンジ」という碑を見つけました。
 フレデリック・ウィリアム・ストレンジは、1853年にイギリス・ロンドンで生まれ、1875年に来日、東京英語学校や東京大学予備門で英語教師を務めます。
 その一方で、学生たちに熱心にスポーツを教え、1883年にはストレンジ主催による東京大学と予備門合同の陸上運動会が開催されています。大会で行われた協議は百ヤード競争、二百二十ヤード競争、四百四十ヤード競争、走り高跳び、走り幅跳び、棒高跳び、ハンマー投げなど、現在の競技と同等の本格的なもので、やがて全国の学校へと広がっていくこととなっったそうです。
 また、ボート競技が得意だったストレンジは学生にルールや技法を教えるだけでなく、継続的に活動できるよう組織作りに尽力し、1884年には日本初の学生レガッタ「東京大学走舸組競漕会」を開催しています。
 ストレンジは東京大学にて、各競技のチームの親睦を図ることを目的とした運動会を組織。スポーツチーム全体が一つの組織となる体制を整備します。この動きは各校にも広がり、今日の学校における部活動や運動会の体制が確立されます。この他、日本初のスポーツガイドブック「アウトドア・ゲームズ」を刊行するなど、日本のスポーツ界に多大な貢献をしたストレンジですが、1889年に突然、心臓発作にて34歳の若さでこの世を去っています。
 青山霊園にあるストレンジの墓は現在、日本陸上競技連盟が管理を行っているそうです。

F.W.ストレンジの墓
F.W.ストレンジの墓

墓の脇にある碑
墓の脇にある碑

東京都港区南青山2丁目32-2 青山霊園 外国人墓地
スポンサーサイト

| 明治・大正時代 | 07:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。