烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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囲碁の奇才、中山善吉の碑

 囲碁史の取材で久しぶりに墨田区向島の三囲神社にある「奇才子中山善吉氏之碑」を訪れました。
 以前も紹介しましたが、中山善吉については本因坊秀栄や田村保寿(本因坊秀哉)との棋譜が残されているものの、14歳と若くして亡くなったため、どういった人物であったか余り知られていませんでした。
 碑文によると、横浜方円社に通っていたようで、その実力を村瀬秀甫(本因坊秀甫)に絶賛されています。その後、土屋秀元(本因坊秀元)の門人となり頭角を現していきますが病により、明治26年に亡くなっています。
 本因坊家では亡くなった善吉に三段の特別昇段を贈っていますが、僅か14歳で亡くなった少年にこの様な立派な碑が建立された事からも、善吉に対していかに期待していたかが分かります。

三囲神社の鳥居
三囲神社の鳥居

三囲神社
三囲神社

奇才子中山善吉氏之碑
奇才子中山善吉氏之碑

 以前紹介した通り、碑の題額は福岡藩最後の藩主 黒田長知によるものです。黒田公は度々碁会を開催するなど、明治期の囲碁界を支えた人物の一人です。
 和文撰は福羽美静となっています。子爵であり貴族院議員であった福羽美静は、国学者、歌人としても知られています。
 書は、一亭渡邊智通で善吉の実兄だそうですが、詳細は分かりませんでした。

題額:黒田長知、和文撰:福羽美静
題額:黒田長知、和文撰:福羽美静

 今回訪れた中で、最大の収穫は碑の建立の賛同者の中に「岩田周作」の名を見つけた事です。岩田周作は李氏朝鮮末期の革命家、金玉均が日本亡命中に名乗っていた名前で、金玉均は本因坊秀栄の親友で、対立していた囲碁家元と方円社の和解に尽力し本因坊秀甫誕生に貢献するなど、囲碁界と大変関わり深い人物です。
 特に注目されるのが碑が建立された時期で、中山善吉が亡くなったのは明治26年。碑が建立されたのが明治27年9月10日となっています。金玉均は明治27年3月28日に上海で暗殺されていますので、碑建立に賛同した金玉均ですが、その完成を見ることなくこの世を去ったことになります。

岩田周作(金玉均)の名
岩田周作(金玉均)の名

【関連記事】 囲碁の奇才子 中山善吉の碑

東京都墨田区向島2-5-17
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