烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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第25・28代内閣総理大臣 若槻礼次郎

 東京都豊島区駒込にある「染井霊園」を訪れました。都立霊園の中で最も規模が小さい霊園ですが、数多くの著名人も眠っています。
 染井霊園の中にある若槻礼次郎のお墓にお参りしました。 島根県出身の若槻は、明治25年(1892)帝国大学法科大学を卒業し大蔵省に出仕すると、主税局長、大蔵事務次官を歴任します。
 明治44年(1911)貴族院議員に転ずると、第3次桂内閣、第2次大隈内閣で大蔵大臣に就任しています。大正13年(1924)加藤高明内閣では内務大臣に就任し、普通選挙法と治安維持法の成立に尽力しています。
 大正15年(1926)に加藤首相が急死したため、若槻は内閣総理大臣臨時代理を経て、第1次若槻内閣を組閣します。昭和金融恐慌勃発による混乱の中退陣しましたが、昭和5年(1930)に開催されたロンドン海軍軍縮会議首席全権を経て、昭和6年(1931)に再び首相に就任。景気回復のため満州へ進出しようという機運に否定的な若槻でしたが、満州事変勃発によりに軍部や国民の理解が得られず退任、日米開戦後は和平工作を行い、ポツダム宣言受諾などにも大きく関わります。
 戦後、「戦前を代表する平和主義者」として東京裁判の首席検察官を務めたジョセフ・キーナンに称えられた若槻ですが、昭和24年(1949)に84歳で亡くなっています。

若槻礼次郎の墓
若槻礼次郎の墓

染井霊園:東京都豊島区駒込5-5-1 1種イ8号1側
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| 明治・大正時代 | 15:34 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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