烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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三渓園の史跡

 三渓園には閉園間際に行ったので、全てを見学する事はできませんでしたが、貴重な建造物や碑を駆け足で見てまわりました。

 旧天瑞寺寿塔覆堂は、豊臣秀吉が母のために建てた寿塔を覆うための建物だそうで、迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫刻がみごとです。
 寿塔とは、長寿を祝って生存中にたてる墓だそうで、寿塔自体は現在、京都大徳寺内の龍翔寺にあります。
 天正19年(1591)に建築された覆堂は、重要文化財に指定されています。

旧天瑞寺寿塔覆堂
旧天瑞寺寿塔覆堂

 聴秋閣は徳川家光により二条城内に建てられた、書院造と茶亭の機能を併せ持った建物で後に春日局が賜ったとされています。
 聴秋閣は大名茶人・小堀遠州と共に安土桃山時代から江戸時代前期にかけて茶人としても活躍した旗本・佐久間将監の作と言われ、江戸時代初期の上流武士階級の風流な文化を現代に伝えています。

聴秋閣
聴秋閣

 園内で「ホトトギス」を主宰した高浜虚子の句碑を見つけました。三渓園を詠んだ俳人は多くいますが、虚子は昭和8年に訪れ句を詠んでいます。

  「鴨の嘴より たらたらと 春の泥」

高浜虚子句碑
高浜虚子句碑

神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1
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| 明治・大正時代 | 11:27 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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