烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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北条時頼と囲碁

 鎌倉の明月院に鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の墓があります。時頼は晩年、出家して、この地に「最明寺」を建立し暮らしていたそうです。
 有力御家人、三浦泰村一族を滅ぼすなど、北条氏による執権政治を強固にした時頼は、数々の善政を行った名君でもあったと言われています。
 鎌倉幕府は、大事件が起こると諸国の武士を鎌倉によび集めていましたが、「鉢木」という謡曲(能の曲)では「いざ鎌倉」という言葉が使われています。
 謡曲「鉢木」は北条時頼が執権を退いた後、僧となって諸国を回ったという伝説から生まれたもので、次のような物語です。
 上野国 (群馬県)の佐野(高崎市内)に、佐野源左衛門常世という貧しい武士が住んでいました。
 ある雪の夜に常世の家に旅の僧がやってきて一晩泊めてくださいとたのまれます。常世は僧を泊めることとし、粟のご飯でもてなし、マキがなくなると、大切な鉢植えの梅・松・桜の木を囲炉裏にくべ暖をとったそうです。常世は僧に、一族に領地を取られ、今は落ちぶれてしまったが、「いざ鎌倉」というときには鎌倉に一番にかけつけて戦う覚悟だと語りました。
 その後、鎌倉幕府から、集まれという連らくが来たので、常世は、やせ馬に乗って、鎌倉に駆け付けますが、そこには、雪の夜に泊めた旅の僧がいて、前執権・北条時頼であったとわかりました。時頼は、常世の言葉に嘘がなかった褒美として、奪われた領地を取りもどし、大切な木をくべたもてなしのお礼として、梅田・松井田・桜井の三ヶ所の土地が更に与えられたと言われています。

北条時頼廟
北条時頼廟

 ところで、北条時頼は囲碁の愛好家であったと言われています。当時、博打を行う武士が多かったため時頼は武士による博打の禁止令を出します。この時、「但し囲碁・将棋者は非制限」とした事から、武士の間で囲碁が更に広まっていったそうです。

北条時頼公の墓
北条時頼公の墓

神奈川県鎌倉市山ノ内189
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