烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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正力松太郎の墓

 呉清源と木谷実による「鎌倉十番碁」の舞台となった円覚寺を久しぶりに訪れました。
 円覚寺には元読売新聞社社主で日本テレビ放送網などを経営し、プロ野球・読売ジャイアンツを創立、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力発電の父とも呼ばれた正力松太郎の墓があります。

円覚寺入口
円覚寺入口

 正力松太郎は、東京帝国大学法科大学を卒業後、内務省を経て、警視庁警務部長になりますが、大正12年(1923)、当時の皇太子(昭和天皇)が狙撃された「虎の門事件」の警備責任から引責辞職します。
 翌年、経営難にあった読売新聞を買収し社長に就任した正力は、政財界に影響力を持っていく一方、昭和9年(1934)にベーブ・ルースらアメリカ大リーグ選抜チームを招聘、大日本東京野球倶楽部(読売ジャイアンツ)を創立します。
  その後、大政翼賛会総務に就任するなどしたため、戦後GHQにより公職追放され、復帰後は 日本テレビ初代社長に就任する一方、政界にも進出。昭和30年(1955)の第27回衆議院議員総選挙で当選すると、 原子力委員会の初代委員長、初代科学技術庁長官などを歴任し、昭和44年(1969)10月9日、満84歳で亡くなっています。亡くなった当日は奇しくも、自ら創設した、読売ジャイアンツがセントラルリーグを制覇した日だったそうです。

 ところで、正力松太郎は囲碁界とも関わり深い人物でした。正力は買収した読売新聞で、スポーツや囲碁将棋欄を拡充、創設間もない「日本棋院」が、脱退したメンバーで創設された「棋正社」と対立すると、正力は「院社対抗戦」を企画し、その様子を新聞に掲載します。対抗戦ではかつて本因坊家継承を争った本因坊秀哉と雁金準一の対局が話題となり、読売新聞の売上げは一挙三倍に増えたそうです。日本棋院が選定する「囲碁殿堂表彰」でも2014年度以降、候補者としてノミネートされています。

正力松太郎の墓
正力松太郎の墓

 なお、墓誌を見てみると、正力松太郎の隣りに、平成23年(2011)に92歳で亡くなった松太郎の長男、正力亨の名も見ることが出来ます。
 正力亨氏は、読売新聞グループ本社社主。読売ジャイアンツオーナーなどを歴任。ジャイアンツを愛し、長嶋茂雄や王貞治の良き理解者であったと言われます。
 実父の正力松太郎が、大正力と呼ばれたのに対し、亨氏は小正力と呼ばれていたそうで、平成8年(1996)に、球団オーナーを渡邉恒雄に譲り、名誉オーナーへ就任。平成23年(2011)に92歳で亡くなっています。

墓誌に刻まれた「正力松太郎」と「正力亨」の名
「正力松太郎」と「正力亨」の名

鎌倉市山ノ内 円覚寺境内
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