烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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尼将軍北条政子、鎌倉幕府三代将軍源実朝の墓

 鎌倉五山第3位の福寿寺には開基の北条政子と、その息子である鎌倉幕府三代将軍源実朝の墓と伝わる五輪塔があります。
 鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室である北条政子は伊豆の豪族、北条時政の長女で、流人として伊豆に流された頼朝と恋仲となり周囲の反対を押し切り結婚。そのため北条氏は頼朝の監視役から有力な支援者へと変わり鎌倉幕府では執権として政権を支えていくこととなります。
 政子は頼朝が存命中は御台所と呼ばれていましたが、夫の死後には出家して尼御台と呼ばれるようになり、頼朝の跡を継ぎ二代征夷大将軍となった嫡男・頼家、そしてその弟の三代将軍実朝が相次いで暗殺され、京から幼い藤原頼経を新将軍として招くとその後見人として幕政の実権を掌握、「尼将軍」と称されています。

北条政子の墓
北条政子の墓

 源頼朝と北条政子の子である源実朝は、兄の二代征夷大将軍源頼家が北条氏を初めとする有力御家人と対立し追放されると、12歳で征夷大将軍に就いています。
 将軍就任当時、実朝は幼く政治的実権は全くありませんでした。そうした中、初代執権で実朝の祖父である北条時政はライバルを排除し支配体制を固めていきますが、後妻の牧の方と組んで実朝を廃し娘婿の平賀朝雅を新将軍としようとしたことから子供の北条政子や義時により伊豆国に幽閉される「牧氏事件」が起きます。
 やがて成長した実朝は徐々に政治的関与を深めていますが、建保7年(1219)、鶴岡八幡宮を参拝中、潜んでいた兄頼家の子、公暁により暗殺されます。公暁は、実朝を親の仇として討ったと言われますが、その背景には不明な点が多く、北条氏による陰謀、北条氏の政敵である三浦氏による北条打倒が目的、後鳥羽上皇による幕府転覆の陰謀などがささやかれています。いずれにしても実朝がいなかったため、源氏による将軍家の血筋は途絶えてしまいます。以降は京の公家から将軍を迎え執権北条氏が政治を行う執権政治が始まっています。

源実朝の墓
源実朝の墓

実朝生誕800年記念碑
実朝生誕800年記念碑。平山郁夫書

神奈川県鎌倉市扇ヶ谷1-17-7

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