烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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大龍寺 「日本の製紙王」大川平三郎と、「講道館四天王」横山作次郎

 大龍寺の墓所で正岡子規の墓の近くに、明治時代、四日市製紙、九州製紙、中央製紙、富士製紙など、数々の製紙会社を経営し、「日本の製紙王」と呼ばれた大川平三郎の墓がありました。
 大川は「日本資本主義の父」と呼ばれ、囲碁界の支援者でもあった渋沢栄一の甥(渋沢の妻の姉の子)で、渋沢の書生を経て、渋沢が創立した抄紙会社(後の王子製紙)に入社します。
 20歳の頃、社命で渡米した大川は、最新の製紙技術を修得し帰国。コスト削減や技術革新に取り組み、専務取締役にまで昇進します。しかし、経営に三井財閥が参画し、渋沢栄一が会長を退任すると、大川も会社を去り、先に紹介した製紙会社の経営に携わることとなります。大川はこの他、浅野セメント(現・太平洋セメント)、札幌ビール、日本鋼管など多くの企業経営に携わり「大川財閥」を作り上げています。

大川平三郎の墓
大川平三郎の墓

 大川平三郎の墓の隣りに、妻の照子の墓があります。照子は渋沢栄一の四女で、大川平三郎とはいとこ同士の結婚となります。

平三郎夫人照子の墓(渋沢栄一四女)
大川平三郎夫人照子の墓(渋沢栄一四女)

 この他、大龍寺には講道館創成期の柔道家で「鬼横山」の通称で知られる横山作次郎の墓がありました。
 姿三四郎のモデル西郷四郎や富田常次郎、山下義韶と共に「講道館四天王」と呼ばれ、「柔道の神様」と呼ばれた三船久蔵や、ブラジルに渡りグレイシー一族に柔術を教えた前田光世(コンデ・コマ)の師匠でもあります。

横山作次郎の墓
横山作次郎の墓

 横山作次郎の墓の脇に「柔道界之大先輩」と刻まれた碑があります。書を書いたのは達筆なので分かりませんが、たぶん頭山満だと思います。
 遠山は欧米諸国のアジア植民地化政策に対抗しアジア諸国の独立を画策するアジア主義を主張。結社「玄洋社」を設立し、戦前に軍および政財界に大変な影響力を持つ大物フィクサーとして活躍していました。
 「玄洋社」には「明道館」という柔道の道場があり、多くの門下生がいたそうです。そうした関係から碑が建立されたのかもしれません。頭山は明治以降の囲碁界の支援者としても知られています。

「柔道界之大先輩」の碑
「柔道界之大先輩」の碑

頭山満の書
頭山満の書?

大龍寺 : 北区田端4-18-4
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