烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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室生犀星旧居跡周辺

 田端のポプラ坂を上がってきて「ポプラ倶楽部」の跡地である田端保育園を左折、そして次の交差点を右に曲がった路地に、詩人で小説家でもあった室生犀星の旧居跡の説明板があります。
 室生犀星は、大正5年に田端163(現・3-4)番地に転入し、以降、数回にわたり田端内で転居を繰り返していますが、説明板が建っている田端523(現・5-5)番地での居住期間が最も長く、特に気に入った場所のひとつだったようです。
 室生犀星といえば「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」という詩句が有名ですが、その原点は俳句で「魚眠洞」という俳号を持っていました。田端時代には作家・芥川龍之介等と共に句作に打ち込み、それと同時に詩人や小説家としてもスタートしていった時期だったそうです。
 また、説明板の地図を見てみると、この旧居跡には一時期、小説家の菊池寛も住んでいたそうです。この他近所には元NHKアナウンサーで作家である近藤富枝(1981年、NHK連続テレビ小説『本日も晴天なり』の主人公のモデル)や、多くの文人、芸術家が暮らしていましたが、今は普通の民家でその面影は全くありません。

室生犀星旧居跡
室生犀星旧居跡

現地説明板1
現地説明板1

現地説明板2
現地説明板2

東京都北区田端5-5

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