烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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平塚らいてう旧居跡 田端

田端文士芸術家村案内板
田端文士芸術家村案内板

 かつて多くの芸術家、文士たちが住んでいた田端ですが、昭和20年(1945)の空襲で焼野原となり、当時の面影はほとんど残っていません。
 街中の所々に地図や説明板が設置されていますが、ほとんどの場所は戦後建てられた家で文士たちとは関係ない人たちが暮らしています。

平塚らいてう旧居跡
平塚らいてう旧居跡(道の右側)

 平塚らいてうは、 大正から昭和にかけて活躍した女性社会運動家・評論家で、本名は奥村明(はる)といいます。明治44年(1911)、平塚が25歳の時に雑誌「青鞜」を創刊し「元始女性は太陽であった」という有名な論説を掲載。第二次大戦後も女性運動の第一人者として活躍しています。
  平塚は大正7年に、田端445番地に転居しています。現在の住所は田端2丁目12という事で、「田端文士村記念館」で手に入れたパンフレットを片手に現地に行ってみました。現地には碑があるわけでもなく普通の民家が建っているだけですが、実際にその場所に立ってみることで文人たちに思いを馳せることができます。

北区田端2丁目12
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