烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

小塚原回向院の墓所 2

 小塚原回向院の墓所で公開されているのは勤皇の志士の墓だけではありません。
 「史跡ゾーン」の一画に四つの墓石が並んで建っています。その一番左にあるのが、盗んだ金を貧乏人たちにバラまいて「義賊」と呼ばれた江戸時代の大泥棒・鼠小僧次郎吉の墓です。鼠小僧こと中村次郎吉は天保3年(1832)に捕まり鈴ヶ森刑場で打首獄門になりますが、芝居で人気となり本所の回向院に墓が建立されます。その別院であるここにも墓が建立されたのでしょう。
 鼠小僧次郎吉の墓の隣りにあるのは江戸時代後期の侠客、片岡直次郎の墓です。講談・歌舞伎で「天保六花撰」に描かれる人物です。
 さらに、その隣りにあるのが、「明治の毒婦」と呼ばれた「高橋お伝」の墓です。やくざ者と恋仲となり借金を抱えていったお伝は、明治9年(1876)に自分に言い寄る男を殺害し、お金を奪って逃走。長期の裁判の末、明治12年(1879)に市ヶ谷監獄にて斬首されます。その後、刑法が変わったためお伝は斬首刑となった最後の人物です。
 一番右にある腕の形をした墓石は「腕の喜三郎」の墓です。江戸時代の侠客で、ケンカで斬られて取れかけてしまった片腕を「みっともない」といって子分にノコギリで切断させたと言われています。

有名盗賊の墓
有名盗賊の墓

 「相馬大作の供養碑」は江戸時代に発生した大名暗殺未遂事件「相馬大作事件」の関係者の供養碑です。
 文政4年(1821)に相馬大作こと南部藩士・下斗米秀之進を首謀者とする数人が、南部藩と犬猿の仲であった隣国の津軽藩主・津軽寧親が参勤交代を終えて帰国する途中を襲い殺害しようとした「相馬大作事件」が発生します。
 事件前に裏切者が出るなどして暗殺は失敗し、逃走した秀之進は幕府に捕らえられ処刑されますが、この事件は当時、赤穂浪士の再来として騒ぎ立てられ、講談や小説・映画などで採り上げられています。
 また、秀之進がここに葬られたのを機に、小塚原回向院に処刑された政治犯が埋葬されるようになったそうです。

相馬大作の供養碑
相馬大作の供養碑

 磯部浅一は陸軍軍人で国家社会主義者です。
 昭和11年(1936)に起こった「二・二六事件」で、栗原安秀らとともに計画の指揮に当たり、翌年に銃殺刑に処されています。

磯部浅一
磯部浅一

小塚原回向院 : 東京都 荒川区 南千住 5-33-13
スポンサーサイト

| 歴史あれこれ | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。