烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

円通寺 彰義隊の墓

 慶応4年(1868)に旧幕府の御家人を中心に結成された彰義隊と新政府軍との間で行われた「上野戦争」で彰義隊士の遺体は賊軍として、そのまま放置されていました。
 当時の円通寺の住職・二十三世「大禪佛磨大和尚」は決死の覚悟で政府に訴えかけ隊士の遺体を現在の上野公園の西郷隆盛像があるあたりで火葬し円通寺へ葬ります。
 以来、円通寺は旧幕府側の人々にとって特別な場所となり、多くの碑が建立されています。

彰義隊墓所入口
彰義隊墓所入口

 円通寺に葬られた彰義隊士の墓です。昭和13年に東京都文化財指定、昭和58年に荒川区史跡に登録されています。

彰義隊士の墓
彰義隊士の墓

 彰義隊士の墓の周りには多くの碑が建立されていますが、その中に多数の榎本武揚の書を見ることが出来ます。
 幕末に軍艦・開陽丸の艦長を務めるなど幕府海軍の中心人物であった榎本は、戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、「蝦夷共和国」の総裁に就任。敗戦後、一時投獄されますが、やがて明治政府に仕え、逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣などを歴任し、子爵となっています。そうした関係で榎本公への依頼が多かったのでしょう。墓所には榎本公の追弔碑も建立されていました。
 榎本公とは関係ないのですが、下記写真で榎本公の追弔碑の後に地蔵尊の後ろ姿が写っています。あとで分かったのですが、この地蔵尊は「よしのぶ地蔵」と呼ばれています。昭和38年(1963)に台東区下谷で誘拐され殺害された「村越吉展」ちゃん(当時4歳)の遺体発見現場が、ここ円通寺で、吉展ちゃの供養の為に建立されたのが「よしのぶ地蔵」です。
 「戦後最大の誘拐事件」と呼ばれ、人命尊重の観点から初めて「報道協定」が行なわれ、事件を機に刑法が改正され営利誘拐に「身代金目的略取」という条項が追加され、より厳罰化されるなど社会に大きな影響を与えた事件でした。

榎本武揚追弔碑
「榎本武揚追弔碑」と「よしのぶ地蔵」

 円通寺の墓所に大鳥圭介の追弔碑を見つけました。幕臣であった大鳥は戊辰戦争において徹底抗戦を主張。各地を転戦した後、「蝦夷共和国」建国時に陸軍奉行に就任しています。
 明治政府では外交官として駐清国特命全権公使、朝鮮公使を歴任。日清戦争開戦直前の困難な時期に外交交渉に当たっています。

大鳥圭介追弔碑
大鳥圭介追弔碑

 境内には彰義隊士を葬った二十三世「大禪佛磨大和尚」の墓もありました。

23世佛摩和尚の墓
彰義隊士を葬った、23世佛磨和尚の墓


東京都荒川区南千住1-59-11
スポンサーサイト

| 幕末・明治維新 | 07:06 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。