烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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円通寺 ふたたび

 久しぶりに千住方面を訪れましたので南千住の円通寺にも行ってみました。円通寺は、延暦10年(791)に坂上田村麻呂が創建したと伝えられ、江戸時代には、下谷広徳寺、入谷鬼子母神真源寺とともに「下谷の三寺」とよばれていました。

円通寺入口
円通寺入口

 円通寺を訪れて、まず目を引くのは屋上に設置された巨大な観音像でしょう。かつては秩父・坂東・西国霊場の100体ほどの観音像を安置した堂があったため、寺は百観音と呼ばれていたそうでそれに因んで建設されたのでしょう。

観音像
観音像

 この辺りは小塚原と呼ばれていて、その語源として素盞雄神社の端光石を紹介しましたが、一説には源義家が奥州を鎮定したときに、討ちとった四十八の首を円通寺域内に埋めて塚を築いたのが語源というう説もあります。
 また、首塚の上に建っているのが、この寺の由緒「重興圓通寺記幵塔銘」が刻んである七重の石塔です。塚の脇にある松は三代将軍・徳川家光公の鷹見の松だそうです。

四十八首塚
四十八首塚

 明治維新の折、慶応4年(1868)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の遺体は賊軍として新政府軍によりそのまま放置されました。当時の円通寺の住職・二十三世「大禪佛磨大和尚」は決死の覚悟で政府に訴えかけ隊士の遺体を現在の上野公園の西郷隆盛像があるあたりで火葬し円通寺へ葬ります。戦いの舞台となった上野寛永寺は、その礼として総門(黒門)を円通寺に寄贈しています。黒門には無数の弾痕が残されていて当時の戦いのすさまじさを物語っています。

黒門
黒門

黒門に残された無数の弾痕
黒門に残された無数の弾痕

【関連記事】 円通寺

東京都荒川区南千住1-59-11
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| 幕末・明治維新 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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