烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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八紘一宇の碑 南千住

 千住大橋の南詰に「八紘一宇」の碑が建立されていました。私は今まで聞いた事は無かったのですが、今年は参議院予算員会で三原じゅん子参院議員が質問の中で発言し物議を醸した事から、よく耳にしました。
 「八紘一宇」は、「天下を一つの家のようにする」という意味で、日本書紀の神武天皇の条に書かれた「掩八紘而爲宇」の文言を基にした造語だそうです。しかし、戦時中には、この言葉をスローガンに日本軍は海外に侵攻した事から、今回問題となったようです。
 ところで、碑には「陸軍大将 林 銑十郎 書」と刻まれています。林銑十郎は、石川県出身で陸軍大学校を卒業後、明治38年(1905)に勃発した日露戦争に従軍して旅順攻撃に参加しています。その後、陸軍大学校校長、近衛師団長、朝鮮軍司令官などを歴任し、昭和7年(1932)に陸軍大将に進級し、齋藤内閣、岡田内閣で陸軍大臣を務めています。なお、林は強行派の意見をそのまま受け入れる事も多かったそうで、朝鮮軍司令官時代に勃発した満州事変でも強硬派の進言により、中央の指示なしに朝鮮派遣軍を満州に進め「越境将軍」の異名をとっています。
 林は昭和11年(1936)に予備役に編入され退役しますが、昭和12年(1937)2月2日に第33代内閣総理大臣に任命されています。林内閣は政府に対して協力的でない政党と対立していたため、予算が成立した直後の3月31日に突然衆議院を解散します。予算成立後に解散をしたということで「食い逃げ解散」と非難された林内閣は、選挙で大敗し5月31日に総辞職。短命内閣であり、目立った実績が残せなかったため林の名をもじって「何にもせんじゅうろう内閣」と皮肉られたそうです。

八紘一宇の碑

東京都荒川区南千住6丁目71付近
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