烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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日光街道 千住宿

 松尾芭蕉が「奥の細道」製作のために旅立った「千住」は、古くから船着場があり、寛永2年(1625)、3代将軍家光のときに日光道中の江戸から最初の宿に指定、日光・奥州・水戸の各道中の宿場町として賑います。
 奥州・関東の諸大名も参勤交代のために往来していたそうで、京成本線「千住大橋」駅のそばにある「奥の細道プチテラス」には、当時を偲んで大名行列の絵が描かれています。

旧日光街道
旧日光街道

大名行列の絵
大名行列の絵

 「奥の細道プチテラス」の近くの建物に「元長床茶屋 高内長之助」の看板がかけられています。
 この場所は、江戸時代、歴代将軍が鷹狩などで休憩所として利用した茶屋があったそうです。

元長床茶屋
元長床茶屋

 元長床茶屋の道向あたりに「やっちゃ場南詰」の看板がありました。
 戦国時代より、この辺りにはおおくの青物問屋が建ち並び、江戸(東京)へ野菜を供給する一大市場として毎朝威勢の良いセリの声が響き渡っていたそうです。そのセリの声が「やっちゃ」と聞こえたことから、いつしかこの辺りは「やっちゃ場」と呼ばれるようになったとの事です。
 しかし、古くから続いた青物市場も第二次世界大戦の勃発により昭和16年に閉鎖。その後、東京都青果物市場へと移っていき、千住には「やっちゃ場」という言葉のみ残されたそうです。
 
元やっちゃ場南詰
元やっちゃ場南詰

千住宿奥の細道プチテラス:足立区千住橋戸町50
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