烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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近代化産業遺産 ホテルニューグランド本館

 山下公園通りにある「ホテルニューグランド本館」は、戦前戦後を通じて横浜を訪ねる外国人をもてなす迎賓館の役目を果たしてきました。
 創業は明治3年(1870)のことで、チューダー様式の豪華ホテルとして隆盛を誇っていましたが、大正12年(1923)に発生した関東大震災により崩壊してしまいます。
 横浜市は震災復興予算の中で優先的に外国人専用ホテルの建設費を計上します。それは外国人向け宿泊施設の建設は、生糸輸出などに支えられていた横浜経済の地盤沈下を防ぐため喫緊の課題だったからだそうです。
 こうして再建されたのが、現在の建物で、設計したのは上野の東京国立博物館、銀座和光(服部時計店)などを設計した渡辺仁です。
 クラッシックホテルの代表作で横浜のランドマークであった「ホテルニューグランド」の売りの一つは料理で、パリの4つ星ホテルの料理長で「欧州料理界の貴公子」と呼ばれたサリー・ワイルを初代料理長として招きます。ワイルは20年にわたり厨房を指揮し、ホテルオークラ初代総料理長・小野正吉や、プリンスホテルグループ総料理長・木沢武雄など日本を代表する料理人を輩出します。
 また、ドリア、ナポリタン、プリンアラモードなど後に広く知られる料理もニューグランドから誕生したそうです。
 ホテルの宿泊客の中には、皇族、イギリス王族などを始め、チャーリー・チャップリンなど多くの著名人もいました。
 昭和20年(1945)8月30日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーがコーンパイプをくわえて厚木飛行場に降り立った有名な写真が残されていますが、その足で直行したのがこのホテルだったそうです。マッカーサーにとっては新婚旅行で宿泊した思い出のホテルだったそうです。
 この他、作家の大佛次郎は昭和6年(1931)から約10年間、3階の一室を仕事場として使い「赤穂浪士」「幻燈」など多くの作品をここで執筆。また、大佛や石原裕次郎が愛用したバーも健在で、最近では矢沢永吉やサザンオールスターズなどがホテルのカフェやバーを歌にしています。
 このように、数々の横浜の歴史を刻んできた「ホテルニューグランド」は、平成19年(2007)に経済産業省により「近代化産業遺産」に認定されています。

ホテルニューグランド本館
ホテルニューグランド本館

ホテル入口
ホテル入口

説明板
説明板

近代化産業遺産のプレート
近代化産業遺産のプレート

神奈川県横浜市中区山下町10
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