烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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専光寺 喜多川歌麿の墓

 世田谷区烏山にある永隆寺で、本因坊算砂のライバル、利玄の墓にお参りした後、すぐ近くにある専光寺に立ち寄りました。ここには戸中・後期の浮世絵師として、世界的にその名を知られる喜多川歌麿の墓があります。
 喜多川歌麿は、姓は北川、後に喜多川と改め、名は信美。号は歌麻呂以外に、俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名では筆の綾丸、紫屋の名を持っています。
 生まれた場所や時期には諸説あれますが、鳥山石燕に師事し、女性美の理想的表現法、美人大首絵を考案。モデルは遊女、花魁、茶屋の娘など無名の女性ばかりでしたが、登場した女性の名前がたちまち江戸中に広まるなど、歌麿の浮世絵は一世を風靡します。
 幕府は歌麿の浮世絵を世を乱すものとして取り締まりますが、その人気は衰えず、ついに、文化元年(1804)に、芝居や浮世絵で扱う事を禁止されていた豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした浮世絵を描いたとして捕縛され手鎖50日の処分を受けます。歌麿は多くの側室に囲まれて花見酒にふける秀吉の姿で当時の将軍・徳川家斉を揶揄していたとも言われています。
 しかし、その後も歌麿の人気は一向に衰えず、版元からは仕事が殺到したと伝わっています。歌麿は文化3年(1806)に54歳で亡くなり専光寺に葬られました。法名は「秋円了教信士」です。

専光寺山門
専光寺山門

喜多川歌麿の墓
喜多川歌麿の墓

現地説明板
現地説明板

東京都世田谷区北烏山4丁目28番1号
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