烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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内閣総理大臣・桂太郎の墓

松陰神社
松陰神社

桂太郎の墓
桂太郎の墓

 久しぶりに世田谷区にある松陰神社を訪れました。
 その後、神社の隣りにひっそりと建っている、第11・13・15代内閣総理大臣・桂太郎の墓にもお参りしました。以前松陰神社を訪れた際は墓が工事中で一時的に撤去してあったため、今回改めてお参りする事としました。墓は神社の隣りの公園に垣根を隔ててあり、本当に分かりにくく、ここに元総理大臣の墓があると知らないで通り過ぎる人も多いのではないでしょうか。
 桂太郎は弘化4年(1848)に萩藩士の家に生まれ戊辰戦争に従軍。明治3年(1870)にドイツへ留学し、帰国後に山県有朋の下で兵制・陸軍官制の改革を行います。陸軍軍人として日清戦争では第3師団長。その後、第2代台湾総督、東京防禦総督を歴任し、第3次伊藤内閣で陸相に就任すると、第1次大隈・第2次山県・第4次伊藤各内閣と留任を続けてきました。
 ロシアとの戦争が避けられない情勢であった明治34年(1901)に第11代内閣総理大臣に就任。日露戦争で勝利したものの、戦況を国民に秘匿していたため、賠償金が取れなかった国民の不満が高まり日比谷焼打事件が発生することとなります。
 その後、西園寺公望と交代で首相をつとめ「桂園時代」と呼ばれる時代を迎え、韓国併合や大逆事件による社会主義者への弾圧を行っていますが、一方で関税自主権の回復などの功績も残した桂ですが、大正2年(1913)2月、第3次桂内閣の時に、憲政擁護運動が起こり退陣すると体調を崩し、同年10月に脳血栓と癌により67歳の生涯を閉じます。
 民衆により退陣を余儀なくされた桂でしたが、増上寺で行われた葬儀には数千人の人々が訪れたといいます。なお、連続ではないものの、内閣総理大臣の在職日数は2886日と歴代1位だそうです。
 桂太郎はニコニコ笑って肩をポンと叩き、政治家や財界人を手懐けるのに巧みだったため「ニコポン宰相」と呼ばれていたそうです。その墓は遺言により故郷の英雄・吉田松陰の眠る松陰神社の隣りに建立されました。

東京都世田谷区若林4丁目34
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| 明治・大正時代 | 22:37 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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