烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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数々の囲碁対局が行われた久貝因幡守邸

 外苑東通りの都営大江戸線「牛込柳町駅」近くの「市谷柳町」交差点を南に進み,2つ目の信号(長昌寺前)から東に向かう坂を「銀杏坂」と言います。
 かつてこの坂の北側には旗本の久貝因幡守の屋敷がありました。その敷地内に銀杏稲荷、および神木の銀杏の大樹があった事から、何時しか銀杏坂と呼ばれるようになったそうです。
 ところで、久貝邸は幕末に囲碁の対局場として色々な棋譜に登場してきます。時期的には幕末の当主で大目付などを歴任した久貝正典の時代だと思われます。天保10年(1839)には井上幻庵因碩と土屋秀和(本因坊秀和)もここで対局しています。
 このように、囲碁界のスポンサーとして多大な貢献をした久貝正典ですが、公務においては安政の大獄にて五手掛として処断に関与しています。安政7年(1860)には御側御用取次に転じ、同年起こった桜田門外の変で吟味役を務めますが、吟味に不手際があったとされ減封の上、免職隠居となったそうです。

銀杏坂。左側が久貝邸跡
銀杏坂。左側が久貝邸跡

銀杏坂標柱
銀杏坂標柱

標柱説明文
標柱説明文

新宿区市谷薬王寺町
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