烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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「山鹿流兵法」 山鹿素行の墓

 東京都新宿区弁天町にある宗参寺には、江戸時代前期の軍学者、赤穂浪士が用いた「山鹿流兵法」で知られる山鹿素行の墓があります。
 山鹿素行は陸奥国会津(福島県会津若松市)で浪人・山鹿貞以の子として生まれます。その生誕地は直江兼続の屋敷跡でもあったとして、碑が建立されていました。
 寛永5年(1628)に6歳で江戸に出て、寛永7年(1630)、9歳のときに林羅山の門下に入り朱子学を学びと、その後、甲州流軍学の小幡景憲、北条流の祖・北条氏長の門下として軍学を学んだ他、神道など様々な学問を学んだ素行は、独自の流派「山鹿流兵法」を興します。
 しかし、朱子学を批判したことで播磨国赤穂藩へお預けの身となった山鹿は赤穂で藩士の教育を行います。その門人には家老の大石内蔵助もいました。大石内蔵助は吉良邸討入りの際、「山鹿流兵法」を用いたため、事件以後、山鹿流は「実戦的な軍学」として評価されるようになったといいます。
 延宝3年(1675)に許されて江戸へ戻り、軍学を教えた素行ですが、「山鹿流兵法」は各藩に伝わり、長州藩では幕末の思想家・吉田松陰が跡を継いだ吉田家が代々師範を務めています。松陰は叔父にあたる玉木文之進から山鹿流を授したと言われますが、同じく文之進から学んだ長州藩出身の乃木希典は昭和天皇へ、自ら筆写した、山鹿素行が記した歴史書「中朝事実」を献呈しています。
 宗参寺には乃木希典の梅の木が移植され碑が建立されていました。

宗参寺本堂
宗参寺本堂

参道の標柱
参道の標柱

山鹿素行の墓
山鹿素行の墓

水鉢
水鉢

乃木大将移植遺愛梅
乃木大将移植遺愛梅

東京都新宿区弁天町1
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