烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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算聖 関孝和

 新宿区弁天町にある浄輪寺で、江戸時代の数学者、関孝和の墓にお参りしました。
 関孝和の出生に関しては資料が少なくあまり分かっていませんが、関は徳川家光の弟、駿河大納言・徳川忠長に仕えていた内山永明の次男として生まれますが、主家が断絶してしまったために資料が残っていないそうです。
 生年は父親が暮らしていた場所から、寛永12年(1635)に上野国藤岡(現在の群馬県藤岡市)で生まれたという説や、寛永20年(1643)に江戸で生まれたという説があります。
 その後、関家(詳細は不明)の養子となり、甲斐国甲府藩(山梨県甲府市)の徳川綱重(家光の三男)・綱豊に仕え、勘定吟味役となります。綱豊が6代将軍徳川家宣となると幕臣となり、西の丸御納戸組頭に任じられていますが間もなく隠居しています。
 関は独学で吉田光由の算術所『塵劫記』を学んだと言われています。算術以外にも暦学を学び改暦に取り組みますが渋川春海により貞享暦が作られたため改暦については断念しています。
 関は宋金元時代に大きく発展した天元術を研究し改良、延宝2年(1674)に『発微算法』を著し、点竄術(筆算による代数の計算法)を考案し、和算を中国の模倣の算術から、独自の高度な数学へと発展させます。
 世界で最も早い時期に行列式・終結式の概念を提案し、円周率についても小数第11位まで算出、これは当時の世界最高水準でした。
 関は、こうした実績から「算聖」と崇められ、和算が西洋数学にとって代わられた明治以降も、その評価は変わる事はありませんでした。

浄輪寺入口
浄輪寺入口

関孝和の墓
関孝和の墓

現地説明板
現地説明板

東京都新宿区弁天町95
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