烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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渋沢栄一生家「中の家」

 埼玉県深谷市血洗島にある「日本資本主義の父」と呼ばれた大実業家・渋沢栄一の生家、通称「中の家(なかんち)」を訪れました。
 渋沢一族はこの地に土着した開拓者のひとつで、分家して数々の家を起こしています。「中の家」もその一つで、この呼び名は各渋沢家の家の位置関係に由来するものだそうです。
 中の家は、代々農業を営み、養蚕や藍玉づくりと販売、雑貨屋・質屋業も兼ねるたいへん裕福な家で、栄一は、天保11年(1840)に生まれています。
 なお、栄一が生まれた当時の建物は、明治25年の失火で焼失し、現在残る主屋は、明治28年(1895)に栄一の妹の夫・市郎により上棟されたものです。
 栄一は、多忙の合間も年に数回はこの家に帰郷していたそうで、現存する栄一を偲ぶ数少ない場所といえます。この建物は、栄一の遺志を受け継ぎ「渋澤国際学園」として日本語を学ぶ外国人を受け入れてきましたが、平成12年に役目を終え、現在は市が管理して無料で見学する事が出来ます。
 渋沢栄一は、24歳の頃徳川幕府体制に疑問を抱き尊皇攘夷運動に加わりますが、その後、一橋家および幕府に仕え慶応3年(1867)には第15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武に随行し渡欧します。 約1年滞在し、ヨーロッパの進んだ思想・文化・社会などを学ぶと、明治元年11月(1868)に帰国し、大隈重信の説得により明治新政府の大蔵省に仕え、財政の整備にあたります。しかし、大久保利通らと財政運営で意見が合わず辞職。以後、実業界の最高指導者として活躍しています。

「中の家」門
「中の家」門

中の家
中の家

若き日の栄一
若き日の栄一

建物内部
建物内部

埼玉県深谷市血洗島247-1
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| 明治・大正時代 | 11:35 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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