烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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文豪 谷崎潤一郎の墓

谷崎潤一郎の墓

 巣鴨の慈眼寺にある文豪・芥川龍之介の墓の近くに、明治から昭和の中期にかけて活躍した文豪・谷崎潤一郎の墓があります。
 明治19年(1886)に東京で生まれた谷崎は、東京帝国大学文科大学国文科に在学中、和辻哲郎らと共に第二次「新思潮」を創刊。『象』『刺青』等の作品を発表し永井荷風の賞賛を受け、文壇において新進作家としての地歩を固めます。
 関東大震災後、関西へ移住し、『卍』『春琴抄』等谷崎文学の頂点ともいえる作品を著します。谷崎の作風は、女性崇拝の念が基調であり「男は女に支配され、 そのために身を滅ぼすところに、男性としての最高の幸福がある」という考え方に基づいていると言われています。戦時中には松子夫人とその妹たち四姉妹との生活を題材にした大作『細雪』を執筆、軍部にり発行差し止めに遭いますが執筆を続け、戦後に全編を発表しています。
 昭和24年(1949)に文化勲章を受章し、度々、ノーベル文学賞の候補となった谷崎ですが、昭和40年(1965)に79歳で亡くなっています。
 ところで、谷崎は近くに墓のある芥川龍之介と、誌上で激しい文学論争を繰り広げたことで知られています。芥川が「小説の筋の面白さに芸術的価値はない」と主張したのに対して、谷崎は「筋は物語における小説の特権である」と反論しています。激しい論争を繰り広げた二人の墓がすぐ近くにあるのも文学ファンにはたまらないかもしれません。
 なお、谷崎の墓は慈眼寺の谷崎家の墓所以外に京都にも建立されています。

慈眼寺 東京都豊島区巣鴨5丁目35−33
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