烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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天文方・渋川家の墓

 品川の東海寺大山墓地で、初代天文方・渋川春海にお参りしましたが、その隣りに、歴代渋川家の墓が並んでいます。
 囲碁家元・安井家初代の安井算哲の長子であり、二世安井算哲を名乗っていた春海は、日本初の国産暦「貞享暦」を造り出し、その功により貞享元年(1685)に初代幕府天文方に任ぜられます。以降、渋川家は天文方を世襲していくこととなります。
 しかし、渋川春海は嫡男である昔尹に天文方の地位を譲ったものの、正徳5年(1715)に昔尹が子供のないまま急死し、春海も後を追うように死去したため春海の血筋は途絶えてしまします。そこで、渋川家と天文方は春海の弟で三世安井知哲の次男敬尹が継承します。
 今回の取材では、渋川家の墓の写真は数枚しか撮らなかったため確認できた歴代当主は以下の通りです。

三世安井知哲の孫 渋川光洪の墓
三世安井知哲の孫 渋川光洪の墓

 六代・渋川光洪は、三代・渋川敬尹の三男で、囲碁家元の三世安井知哲の孫となります。兄・渋川則休の急逝に伴い、寛延3年(1750)に天文方の地位を継ぎます。翌年、兄が命じられていた改暦実現のために上洛しますが、急遽跡を継いだ光洪には実権はなく土御門家の策動によって、完成した宝暦暦では土御門家に学ぶ学生という扱いを受けています。
 光洪には子供が無かったため、甥の渋川正清が後継者に迎えられています。渋川光洪の戒名は「天眞院春室紹夢居士」で明和8年(1771)に亡くなっています。

渋川正清の墓
渋川正清の墓

 七代・渋川正清は、明和8年(1771)に叔父の渋川光洪が子供が無いまま没したため、末期養子として家督を継承して天文方に任命されます。しかし、度重なる当主の急逝と養子縁組により、渋川家の実権は事実上失われ、天文方は吉田秀長や山路主住によって運営されていきます。更に土御門家主導で行われた「宝暦暦」改暦の失敗により、天文方が改暦の実権を取り戻しますが、高橋至時らによって行われた「寛政暦」改暦では、正清はほとんど関与をしなかったそうです。
 養子の正陽も正清の実家から迎えられた養子であったことから、渋川家は天文方の筆頭でありながら、光洪・正清・正陽と3代にわたり名ばかりの存在として扱われることとなります。渋川正清の戒名は「涼岳院松月招山居士」で寛政11年(1799)に亡くなっています。

東海寺大山墓地(東京都品川区北品川4-11-8)

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