烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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徳川家綱霊廟勅額門

 以前、寛永寺にある「徳川綱吉霊廟勅額門」について紹介しましたが、寛永寺境内にはもう一つ、「徳川家綱霊廟勅額門」があります。場所は歴代将軍の墓の塀沿いに鶯谷駅(南口)方面に向かった途中にあります。
 四代将軍徳川家綱は、父徳川家光の死により、慶安4年(1651)に、僅か10歳で将軍に就任しますが、元々、病弱であり、延宝8年(1680)に39歳の若さで亡くなっています。
 家綱の治世は、就任当初、浪人の由井正雪らによる討幕未遂事件が起こるなどして政情不安に見舞われますが、家光時代からの酒井忠勝、松平信綱、叔父の保科正之らの補佐により次第に政権は安定していきます。しかし、後継問題では男子に恵まれず、弟の綱吉を養子に迎えています。
 家綱の霊廟は、明治維新後に一部が解体されたり、第二次世界大戦による空襲で焼失したりしましたが、勅額門と水盤舎が廟所と共に残されています。勅額門は、四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺の建物で、昭和32年の改修時に発見された墨書銘により、元は上野にあった家光の霊廟の勅額門で、家光の墓が栃木県日光の輪王寺に移された後に家綱霊廟の勅額門へ転用されたと考えられています。

徳川家綱霊廟勅額門

東京都台東区上野桜木1-16
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